現代は、朝起きてから寝るまで、
とてつもないほどの情報の波に晒されています。
僕も例外ではありません。
携帯のアラームで目覚め、そのままYahoo!ニュースをチェック。
リビングに出たら、テレビで朝のニュースを流し聞き。
通勤中はYouTubeかオーディブル。
勤務先近くのカフェでは、またYouTubeかブログをチェック。
日中はパソコンとにらめっこし、
ちょっとした隙間時間にはスマホでSNSやネットサーフィン。
帰宅すればテレビをBGM代わりに、
夕飯を食べながら、食器を洗いながら“ながら視聴”。
そして1日の締めくくりに、
パソコンに向かってこのブログを書いている。
…気づけば、一日中デジタルの世界に浸かっている自分がいました。
🛰 宇宙人が見たら、きっと奇妙な世界
もし他の惑星の誰かが今の地球を見たら、
きっとこう思うでしょう。
「この星の人間は、みんな小さな四角い板をじっと見つめている…」
少し前までは、そんなことを不思議に思いもしませんでした。
でも最近、街を歩けば、老若男女を問わず
どこを見てもスマホを見つめる人・人・人。
その光景に、ふと違和感を覚えたのです。
そして気づけば、自分もその“スマホの虜”になっていました。
🍃 情報社会との、ちょうどいい距離感
情報そのものを否定するつもりはありません。
僕自身、このブログも、音声学習も、テクノロジーの恩恵の上に成り立っています。
でも大切なのは、
「どれだけ取り込むか」ではなく、「どれだけ手放せるか」。
調べてみると、
どうやら「ぼうっとする時間」を意識的に取るのが良いとのこと。
🛁 今日の実践:「ぼうっと入浴」
というわけで、今日は実践してみました。
お風呂の電気を消し、倍音の音を流し、
温めたタオルを目に当てて“温活瞑想”。
いつもなら最後に冷水シャワーを浴びて終えるところですが、
今日はそのままテラスに出て、インフィニティチェアで外気浴。
自宅にいながら、まるで温泉施設で整ったような感覚。
心も体も、久しぶりに“リセット”された気がします。
🌾 「自分軸」で生きるために
今、川のせせらぎと焚き火の音をYouTubeで流しながら、
脱力しつつこの文章を書いています。
社会人になってからというもの、
気づけば「もう1年が終わった」と思うのは、
仮想世界ばかりを見ていたからかもしれません。
現実を生きる感覚を、取り戻したい。
「ぼうっとする時間」は、
ただの休息ではなく、
**“自分軸を整えるための時間”**なんだと
今日、あらためて実感しました。