訃報に触れて、命の重みを思う

40歳の学び

実家の向かいに住んでいた旦那さんが亡くなったと、母から連絡がありました。

先月末に救急車で運ばれたと聞いてはいましたが、その後は快方に向かっていると聞いていた矢先の、突然の訃報でした。

子どもの頃から知っている方。
毎日のように顔を合わせていたわけではなくても、そこに“いて当たり前”だった存在。

その方がもうこの世にいないと聞くと、胸のどこかにぽっかり穴が開いたような感覚になります。

まだ70代。
平均寿命を思えば、少し早いのではないか——そんな気持ちも正直あります。

人は強い。
でも同時に、こんなにも脆く、あっけない。

年齢を重ねるにつれて、こうした知らせに触れる機会はきっと増えていくのでしょう。

そして、いつかは自分の番も来る。

その日が来たとき、「やり切った」と言えるだろうか。
「悔いはない」と胸を張れるだろうか。

故人の代わりに生きることはできないけれど、
せめて自分の命は、丁寧に、誠実に使い切りたい。

今日という1日を、大切に積み重ねていきたい。

そんなことを、静かに考えさせられた一報でした。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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