電車で見つけた、ひとつのスマホ
今日は仕事の移動中、電車に乗っていたときの出来事。
空いた座席に腰を下ろそうとしたその瞬間、
そこには――
ぽつんと一台のスマートフォン。
おそらく、前に座っていた人がポケットから落としたのでしょう。
でもその存在感は、あまりにも大きい。
スマホをなくす=世界を失う?
今の時代、スマホをなくすというのは
「ちょっと不便」では済みません。
- 連絡手段
- キャッシュレス決済
- 写真や思い出
- 仕事のデータ
- 交通系IC
ほぼ“生活そのもの”。
きっと持ち主は今ごろ青ざめているはず。
周囲の人も気づいていたのでしょう。
でも、どこか触れてはいけないもののように、
避けるようにそのまま残されていました。
私は降車駅で駅員さんに届けることに。
鳴り止まない着信
駅に着くまでの間、
そのスマホは何度も何度も震えました。
会社関係らしき番号。
公衆電話らしき番号。
きっと、必死に探している。
出るわけにもいかず、
鳴るたびに音量を下げながら、なんだか落ち着かない。
盗んだわけでもないのに、
不思議とソワソワする。
それだけ、この小さな機械が持つ意味が
特別だということなのかもしれません。
小さな機械に、振り回される私たち
便利であることは間違いない。
でも、同時に思いました。
私たちは、この小さな機械に
どれだけ人生を預けているのだろう。
なくなった瞬間に
世界との接点を失ったような感覚になる。
それって、冷静に考えると少し怖い。
主体か、受動か
テクノロジーには必ず功罪がある。
大事なのは、
- 自分が使っているのか
- 使わされているのか
同じスマホでも、
そのスタンス次第でまったく意味が変わる。
今日の気づき
たった一台の落とし物。
でもそれは、
「現代人とテクノロジーの関係」を
静かに問いかけてくる出来事でした。
便利さに感謝しつつも、
依存しすぎない距離感を持つ。
そんなことを考えさせられた
小さな、でも深い一日でした。
