朝のマクドナルド。
席に座ってコーヒーを飲んでいると、私の隣に一人の老人が相席して座りました。
最初は、隣にいた女性の知り合いかと思ったのですが、
どうやらまったくの赤の他人。
その老人は、
会話なのか独り言なのか境界が曖昧なほど大きな声で話し始め、
周囲の人も振り向くほどよく喋っていました。
朝の自分時間を乱されたくなくて、
私はイヤホンをつけて少し距離を置くことにしました。
(音は聞こえますが、クッションになる感じで)
ほどなくして、相席していた女性も別の席へ移動し、老人は一人に。
しばらく黙っていたのですが、ふいに思い出したかのように
リュックから お猿の人形 を取り出し、
「狭くて悪かったな」と声をかけ、テーブルに座らせました。
そしてその人形に向かって、今度は旅行の話をマシンガンのように語り始めました。
来月は金沢に行くらしく、
お気に入りの地名や空港名、観光地の名前を次々と挙げていました。
周囲の視線も少しずつ集まっていくのを感じました。
■ この光景を見て感じたこと
表面的には奇妙に見えるかもしれません。
ただ、その背後には
- 誰かと話したい
- 人とつながりたい
- 言葉を外に出したい
そんな想いが隠れているのかもしれません。
もちろん本人にしか真意は分かりませんし、
人生の先輩の生き方を軽々しく語れる立場でもありません。
ただひとつ、強く思いました。
長生きすることだけが人生の目的ではない。
■ 老後は「何歳まで生きるか」ではなく「どんな状態で生きるか」
一人で過ごす老後が良い悪いという話ではなく、
今日見た光景が、老いのリアルを静かに突きつけてきました。
人生は、歳を重ねるほど
「環境」「人との関係性」「居場所」がその人を形づくる。
そして老後は、
今の生き方の延長線上にしか現れない。
そんな考えが頭をよぎりました。
■ 今日の気づき(自分へのメモ)
- 長生き=幸せ、とは限らない
- 老後は“ライフスタイルの成れの果て”
- 今から「自分がどう生きたいか」を考える必要がある
- 誰かと繋がれる場所・関係性を育てておきたい
■ おわりに
今日の小さな出来事は、
自分の未来を考えるための、静かな問いになりました。
これからの日本では、こうした光景がもっと日常になるのかもしれない。
そのとき、自分はどんな風に生きていたいだろう。
そんなことを、朝のマックで考えていました。
