「母校のラグビー部に、社会人の自分がタックルされた日」

生き方

母校のラグビー部が、花園をかけた決勝戦に挑むと聞いて、
今日、応援に行ってきました。

高校時代の自分は野球部でしたが、
ラグビーが盛んな街だったこともあり、授業にラグビーが組み込まれていました。
当時、ラグビー部のタックルを受けて一瞬息が止まったあの衝撃——
今日観客席に座った瞬間、ふと思い出しました。

試合会場は、すでに熱気で満ちていました。
在校生がほぼ全員応援に来ていて、OBたちも詰めかけ、
試合前なのに、もう“花園”が始まったような高揚感。

歳を重ねたせいなのか、
選手たちが整列に向かい始めただけで、胸が熱くなってしまいました。

彼らが積み重ねてきた日々、
控えの選手の悔しさ、
親御さんたちが陰で支えてきた時間——
そんな想いを想像した瞬間、
こみ上げるものがあって、
サングラスをしてきて本当に良かったと心の中で思いました。


■ 前半:夢が手に届きそうだった瞬間

試合は鮮やかな2連続トライでスタートし、
「この勢いなら花園に行ける」と本気で思うほどの展開。

しかし、人生と同じで、そんなに甘くはありません。

相手は徐々にペースを取り戻し、
スクラムで流れを引き寄せ、
トライを返しながら母校の体力をじわじわ削っていく。

それでも前半はリードしたまま折り返し。
希望も、緊張も、入り混じった空気の中で後半へ。


■ 後半:耐えて、耐えて、それでも届かなかった悔しさ

後半はほぼ防戦一方。
何とか耐え、一時は再びリードする場面もありました。

でも最後は、相手の地力が勝った。
試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、
選手の涙、
毅然としていた選手、
怪我で満足に出られなかった選手、
控えで声を枯らしていた選手——
それぞれの3年間が一気に溢れ出ていました。

11月。
センター試験も近いこの時期に、
それでも彼らは仲間とラグビーボールを追い、
身体をぶつけ、前に進む。

理屈じゃ説明できない
まっすぐな熱に心を打たれました。


■ 気づいたら、乾いた自分の心にタックルされていた

競技は違えど、
社会人になってからの自分は、
いつからこんなにドライに生きるようになったのか——
ふと、そんなことを考えさせられました。

自分のことだけ考えていたら、
あんなタックルは絶対にできない。

彼らは、
監督と一緒に花園へ行きたいという想い、
応援してくれる人の期待、
母校の誇り、
仲間の夢。

すべてを背負って真正面から相手にぶつかっていく。

そんな姿は、
年齢の壁も立場の違いも軽々と飛び越えて、
ただただ胸に刺さりました。

正直、
自分自身がタックルを受けたような感覚でした。


■ 最後に

悔しい結果にはなりましたが、
今日の涙と熱量は、きっと後輩たちが引き継いでくれるはずです。

そして僕自身も、
母校の選手たちに
「もっと自分も前へ進めるだろ?」
と背中を押された気がします。

母校のラグビー部と自分の人生が重なった——
そんな一日でした。

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