評価を他人に預ける人生を、今日で終わりにする。

生き方

今日、突然部長に呼び出されました。
何かと思えば、上期の実績考課の面談。

結論から言えば――
希望していた評価は通らず、ワンランクダウン。

理由はこうでした。

  • 部として高く申請したが人事部で通らなかった
  • 予算との兼ね合い
  • 若手厚遇への配慮
  • 相対評価の都合上、下げざるを得ない

私だけでなく、他の数名も同様に下げられており、
その説明のために一人ひとり面談しているとのことでした。

部長は私の活動を評価していると言ってくれましたが、
要は、

「皆下げられているから、お前も飲んでくれ」

という事実上の通告。

賞与にも関わるため、正直ガッカリしました。
期待していただけに、裏切られた気持ちも大きかった。


サラリーマンという働き方の「構造的な脆さ」

今回の件で改めて思ったのは、
サラリーマンは人事評価という“生殺与奪”を握られている立場だということ。

どれだけ努力しても、
評価の最終決定をするのは自分ではありません。

  • 会社の予算
  • 組織の方針
  • その時のバランス
  • 上層部の裁量
  • 相対評価

そのすべてが、自分の給与や待遇を左右する。

「実力主義」と言葉では言うけれど、
現実はもっと複雑な力学で動いている。

その構造を目の前に突きつけられ、
自分の立場の脆さに、強烈な危機感を覚えました。


交渉という選択肢もあった。でも――

転職や退職をちらつかせて交渉することもできたかもしれません。
ただ、それでは根本的な解決にはならない。

誰かに評価を握られる世界にいる限り、
また同じことが起きる。

今日感じたモヤモヤは、
これまでも毎回の人事考課で感じてきたもの。

つまり、
**偶然ではなく“構造的な痛み”**
なんだと思います。


自分を評価する世界へ行く決意

部長との面談の帰り道、
ふとこう思いました。

「自分の評価を、他人に預け続ける人生でいいのか?」

どれだけ努力しても、
最終評価は他人が決める世界。

そんな環境でモヤモヤし続けるよりも、
自分で責任を持ち、自分で評価を決める人生へ移行したい。

最近の人事考課でのモヤモヤは、
その“サイン”だったのかもしれません。

そして今日、決めました。

独立する。
自分の生業を持つ。
お客さんからの“感謝の総量”を評価軸に生きる。

その世界に飛び込んでいくと。


今日を「転機の日」と呼べるように

今日は悔しさもあった。
怒りや虚しさもあった。

でも、それ以上に
「このままでは終われない」という強い決意が湧いてきた日でもありました。

今日の出来事を、
数年後「あの日が転機だった」と言えるようにしたい。

そう思える一日でした。

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