死を意識すると、生が輝く
最近、禅や哲学の本をオーディブルで聴くことが増えました。
哲学といえば避けて通れないテーマのひとつが「死」。
人には必ず死が訪れると頭では分かっていても、
実際に自分が死ぬことをリアルに想像するのは難しい。
だからこそ普段は考えないし、
むしろ考えないようにしている人も多いのではないでしょうか。
でも──。
死を意識するからこそ、
今この瞬間の「生」が輝く。
そんな言葉に触れることが増え、
最近は自分なりに考えるようになってきました。
スマホに奪われる時間
以前のブログで
「人生後半に残された活動時間」を計算しました。
けれど、
そこからさらに削られる大きな要素があります。
そう、スマホです。
隙間時間や手持ち無沙汰の瞬間は、
ほぼスマホに吸い込まれている。
電車で見渡せば、
ほとんどの人がスマホを凝視している光景は異様にさえ映ります。
もちろん、私自身もその一人です。
残されたのは15万時間
そこで改めて、スマホ時間も含めて計算し直してみました。
1日24時間
ー 睡眠7時間
ー 食事・風呂・身支度2時間
ー スマホ・PC 5時間
残りはおよそ「10時間」。
これを40年続けると──
10時間 × 365日 × 40年 = 146,000時間。
つまり、残りの「活動的に動ける時間」は 約15万時間=17年分。
「まだ15万時間もある」と見るか、
「もう17年しかない」と感じるか。
受け取り方は人それぞれですが、私はすごく短いと感じました。
迷ったら、ゴー
そう考えると、だらだらと迷っている時間なんてない。
「どうしようかな」と悩んでいる間にも、砂時計の砂は確実に落ちている。
だからこれからは、“迷ったらゴー” の精神で生きていきたい。
このブログを書きながら、自分にそう言い聞かせています。
あなたはどう思いますか?
死や残り時間を意識すると、生き方が変わる。
そんなことを感じています。
あなたなら、この「15万時間」をどう使いますか?