ナウシカを見ながら、足るを知るを考えた

半農半X生活

絶賛、見ている。

公開されてから、もう40年以上が経っているらしい。

何度も見ているはずなのに、全然色褪せない。

主人公のナウシカという圧倒的なキャラクターはもちろんだけれど、今回はそれとは別のところが妙に気になった。

ナウシカの世界が、以前より現実に近く感じるのだ。

気のせいだろうか。

ナウシカの世界が、遠い未来に見えなくなった

子どもの頃に見たナウシカの世界は、もっと遠いところにあった気がする。

文明が崩壊したあとの世界。 腐海に覆われ、人間がその片隅で生きている。

もちろん、今の世界とナウシカの世界はまったく違う。

それでもテレビを見ながら、最近のニュースが頭に浮かんだ。

線状降水帯による水害。 日本だけでなく、世界各地で起きる山火事。 干ばつや水不足のニュースも目にする。

地球が少しずつ侵されていっているように感じてしまう。

昔なら「アニメの中の世界」として見ていたものが、今はどうもそう見えない。

40年以上前の作品なのに古くならないというより、こちら側が少しずつ近づいてしまっているような。

そんな感覚がある。

画面の中では、腐海という荒れた土地が広がっている。 その一方で、週末の自分は群馬の畑や秩父の棚田で、実際に土に触れている。

腐海を眺めながら土を思う、というのも変な話だけれど。

AIを使いながら、エネルギーのことを考える

そして、もうひとつ考えたのがAIのことだった。

僕自身、AIを使っている。

仕事でも、こうして文章を書くときでも、その便利さや可能性を感じている。

一方で、AIが発展していけば、それを動かすためのデータセンターも必要になる。 大量のデータを処理するためには、当然エネルギーも使う。

便利になるほど、その裏側で必要になるものも増えていく。

そこで、ふと思う。

人間は、どこまでエネルギーを使えば満足するのだろう。

もちろん、人間に欲があったからこそ、ここまで進歩してきたのだと思う。

もっと遠くへ行きたい。 もっと便利にしたい。 もっと快適に暮らしたい。

そうやってきた先人たちの積み重ねの上に、今の僕の生活もある。

エアコンの効いた部屋でテレビを見ながら、ナウシカを見て環境のことを考えている。

その時点で、かなり矛盾している。

AIだって使う。 車にも乗る。 電気も使う。

便利さを手放して暮らしているわけではない。

だから「人間は欲張りすぎだ」と、外側から批判するようなことは僕には言えない。

僕も完全に、その中にいる。

足るを知る

「足るを知る」という言葉がある。

若い頃は、それほど気になる言葉ではなかった。

むしろ、もっと欲しいと思っていた気がする。

お金も。 モノも。 仕事での評価も。 できることも。

今だって、その気持ちがなくなったわけではない。

でも40代になって、少しずつ「増やすこと」だけではない方向にも目が向くようになった。

これ以上、本当に必要なのか。

今あるもので、十分ではないのか。

そう考えることが、以前より増えた。

もちろん、「足るを知る」と言いながら、新しいAIが出れば触ってみたくなる。

欲しいものだってある。

ナウシカを見終わっても、たぶん答えは出ない。

40年以上前に描かれた世界をテレビで眺めながら、自分はこれから何を増やして、何をもう増やさなくていいと思うのか。

たぶん僕は、これからも「もっと欲しい」と「もう十分なんじゃないか」のあいだを、行ったり来たりするのだと思う。

金曜ロードショーで『風の谷のナウシカ』が放送されている。

絶賛、見ている。

公開されてから、もう40年以上が経っているらしい。

何度も見ているはずなのに、全然色褪せない。

主人公のナウシカという圧倒的なキャラクターはもちろんだけれど、

今回はそれとは別のところが妙に気になった。

ナウシカの世界が、以前より現実に近く感じるのだ。

気のせいだろうか。

ナウシカの世界が、遠い未来に見えなくなった

子どもの頃に見たナウシカの世界は、もっと遠いところにあった気がする。

文明が崩壊したあとの世界。 腐海に覆われ、人間がその片隅で生きている。

もちろん、今の世界とナウシカの世界はまったく違う。

それでもテレビを見ながら、最近のニュースが頭に浮かんだ。

線状降水帯による水害。

日本だけでなく、世界各地で起きる山火事。

干ばつや水不足のニュースも目にする。

地球が少しずつ侵されていっているように感じてしまう。

昔なら「アニメの中の世界」として見ていたものが、今はどうもそう見えない。

40年以上前の作品なのに古くならないというより、

こちら側が少しずつ近づいてしまっているような。

そんな感覚がある。

画面の中では、腐海という荒れた土地が広がっている。

その一方で、週末の自分は群馬の畑や秩父の棚田で、実際に土に触れている。

腐海を眺めながら土を思う、というのも変な話だけれど。

AIを使いながら、エネルギーのことを考える

そして、もうひとつ考えたのがAIのことだった。

僕自身、AIを使っている。

仕事でも、こうして文章を書くときでも、その便利さや可能性を感じている。

一方で、

AIが発展していけば、それを動かすためのデータセンターも必要になる。

大量のデータを処理するためには、当然エネルギーも使う。

便利になるほど、その裏側で必要になるものも増えていく。

そこで、ふと思う。

人間は、どこまでエネルギーを使えば満足するのだろう。

もちろん、人間に欲があったからこそ、ここまで進歩してきたのだと思う。

もっと遠くへ行きたい。

もっと便利にしたい。

もっと快適に暮らしたい。

そうやってきた先人たちの積み重ねの上に、今の僕の生活もある。

エアコンの効いた部屋でテレビを見ながら、ナウシカを見て環境のことを考えている。

その時点で、かなり矛盾している。

AIだって使う。

車にも乗る。

電気も使う。

便利さを手放して暮らしているわけではない。

だから「人間は欲張りすぎだ」と、

外側から批判するようなことは僕には言えない。

僕も完全に、その中にいる。

足るを知る

「足るを知る」という言葉がある。

若い頃は、それほど気になる言葉ではなかった。

むしろ、もっと欲しいと思っていた気がする。

お金も。

モノも。

仕事での評価も。

できることも。

今だって、その気持ちがなくなったわけではない。

でも40代になって、

少しずつ「増やすこと」だけではない方向にも目が向くようになった。

これ以上、本当に必要なのか。

今あるもので、十分ではないのか。

そう考えることが、以前より増えた。

もちろん、「足るを知る」と言いながら、

新しいAIが出れば触ってみたくなる。

欲しいものだってある。

ナウシカを見終わっても、たぶん答えは出ない。

40年以上前に描かれた世界をテレビで眺めながら、

自分はこれから何を増やして、

何をもう増やさなくていいと思うのか。

たぶん僕は、

これからも「もっと欲しい」と「もう十分なんじゃないか」のあいだを、

行ったり来たりするのだと思う。

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