自分史上最高を更新できているか、と思う朝に

人生再構築

40代になって、無理をしなくなりました。

若い頃のように、がむしゃらになったり、背伸びをしたりすることは、

少しずつ減りました。

自分にとって心地よい場所も、わかってきました。

それは悪いことではないと思っています。

ただ、

その居心地のよさに、いつまでも浸っていたくなる自分もいます。

そんなとき、

ふと思います。

自分は今日も、自分史上最高を更新できているだろうか。

毎日、記録を塗り替えたいわけではありません。

でも、

昨日とまったく同じ自分のまま、年齢だけを重ねていくのは、少し寂しい気がするのです。

体力は衰えても、精神性は

年齢を重ねれば、体力や筋力は少しずつ衰えていきます。

運動を続ければ、そのスピードを緩やかにすることはできるかもしれません。

それでも、老いていくこと自体は避けられません。

不慮のことでもない限り、人生最後の日の自分は、

体力的にはいちばん弱っているのかもしれません。

そう考えると、少し寂しくなります。

でも、精神性はどうだろう、とも思うのです。

物事の捉え方、考え方、人との向き合い方。

そういうものは、年齢を重ねても育てられるのではないか。

人生最後の日の自分が、精神的にはこれまででいちばんいい自分であってほしい。

立派な人間になりたいわけではありません。

若い頃より少しだけ広く物事を見られて、他人にも自分にも、少しだけ寛容になれている。

知らないことを、知らないと言える。

いくつになっても、新しいことに興味を持てる。

そんな年の重ね方ができたらと思います。

朝4時に起きた日曜日

先週の日曜日は、朝4時に起きました。

狩猟チームの集合が、朝7時だったからです。

猟場の見学は、これが2回目でした。

場所は、書けません。

山の中です。

30メートルほど先に、鹿がいました。

距離は、それくらいだったでしょうか。

離した猟犬に追われていたのか、鹿はサッサッと、俊敏に動いていきました。

思っていたより、ずっと速くて、軽やかでした。

『もののけ姫』の世界が、そのままそこにあるようでした。

山の中で鹿を見たのは、初めてです。

あとで親方に、「初めて見ました」と報告しました。

銀行員の習性なのか、まず報告している自分に、少し笑いました。

親方は、ほんの一瞬、満足そうな顔を見せてくれました。

それが、なぜかとても嬉しかったのです。

帰りの車の中で、考えていました。

自分はなぜ、山の中の空気が好きなのだろう、と。

田舎育ちだから、というのはあると思います。

でも、もうひとつ思い当たることがありました。

子どもの頃に見た、映画『ランボー』です。

山と一体になって戦う姿。

鍛え抜かれた身体。

あの姿に、憧れていました。

AIや半導体の話題が飛び交う時代に、

山の中で鹿を見つけて、子どもの頃の映画を思い出している。

ずいぶん時代から離れたことをしているようで、

なぜか自分には、

こういう時間がしっくりくるのです。

偶然が入り込む余地をつくっておく

この経験が、この先何につながるのかはわかりません。

何にもつながらないかもしれません。

でも、それでいいと思っています。

週末には畑で野菜を育て、秩父の棚田では米作りに関わっています。

野菜、米、そして狩猟。

どれも自然と人間の関わり方なのに、知らないことばかりです。

考えてみれば、少し前まで、

自分が狩猟チームの方々と山の中を歩いているなんて、想像もしていませんでした。

人生は最後は運だ、という話を聞くことがあります。

努力だけではどうにもならないこともあれば、

思いがけない出会いが、その後の人生を変えることもあるのでしょう。

どこに運が転がっているかなんて、誰にもわかりません。

だからこそ、意識的に打席を増やしてみる。

いつもと同じ場所で、同じ人と会い、同じことを繰り返していたら、

起こる偶然も限られてしまう気がします。

普段は頼まない飲み物を注文してみる。

いつも通り過ぎるお店に、ふらっと入ってみる。

ちょっと興味を持ったことに、顔を出してみる。

そんな小さなことでいいのだと思います。

言ってみれば、「偶然を設計する」 ということでしょうか。

もちろん、偶然は設計できないものなのかもしれません。

でも、偶然に出会う機会を増やすことなら、少しはできそうです。

何かにつながるかどうかを、最初から考えすぎない。

面白そうだから、ちょっとやってみる。

そんな軽やかさは、これからも持っていたいと思います。

40代、人生の本番が週末になってきた

そんな小さな経験を重ねているうちに、いつの間にか、

会社の外で過ごす時間がずいぶん大切になっていました。

若い頃には、ここまで週末を楽しみにしていた記憶がありません。

40代になって、自分にとっての人生の本番が、少しずつ変わってきたようです。

平日は会社員として働き、週末は群馬の畑や、秩父の棚田へ。

ときどき、知らない世界を覗きにいく。

そして、こうしてブログを書く。

誰かに評価されるわけでも、給料が増えるわけでもありません。

それでも、またやりたいと思えます。

むしろ最近は、そういう時間のほうに、自分の人生を生きている実感があります。

とはいえ、平日が週末までの待ち時間というわけでもありません。

月曜日になれば、いつもどおり会社に向かいます。

社会の歯車のひとつとして、与えられた役割を一生懸命果たす。

それも、大切なことだと思っています。

朝晩の隙間時間には、楽曲制作もしています。

まとまった時間が取れるわけではありません。

出勤前や帰宅後に、少しずつ音を重ねていく。

仕事で疲れて、何もできない日もあります。

それでも、少しずつ形になっていくのが面白いのです。

週末には土に触れ、平日の隙間時間には音楽をつくる。

こうして書いてみると、ずいぶんいろいろなことに手を出しています。

会社員であることと、自分の人生を生きること

地方銀行に勤めて20年になります。

会社があるからこそ、

安定した収入があり、生活の基盤があり、週末の活動もできています。

そのありがたさは、年齢を重ねるほど感じるようになりました。

ここ数年は、資産形成にも少しずつ取り組んできました。

もちろん、FIREできるほどではありません。

お金の不安が、すっかりなくなったわけでもありません。

ただ、何かあったときには「バカヤロー」と言って、その場を離れられる。

少なくとも、そう思えるくらいにはなってきたのかなと。

実際にそんな場面になったら、きっといろいろ悩むのでしょうけれど。

でも、そう思えるだけでも、会社との距離感は少し変わります。

以前は、どこかで「この場所にしがみつかなければ」と思っていた気がします。

今は、その感覚が少しずつ薄れてきました。

かといって、会社を辞めたいわけでもありません。

毎月給料が入る安心感もありますし、仕事には仕事の面白さもあります。

20年も勤めていれば、思い通りにならないこともありますが、それなりに愛着もあります。

会社の外に好きなことが増えてきたおかげで、

以前ほど会社のことばかり考えなくなったのかもしれません。

社会の仕組みのなかを、できるだけしなやかに動いていく。

仕事では、自分の役割をきちんと果たす。

その一方で、自分が没頭できることにも時間を使う。

今のところ、そんな距離感が自分には合っている気がします。

もっとも、仕事が忙しくなれば、そんな悠長なことも言っていられないのでしょうけれど。

そして、もうひとつ。

これだけいろいろなことに手を出していると、どれも中途半端になるのでは、という不安もあります。

これは正直、なかなか消えません。

若い頃に思い描いていた「何かひとつを極めた自分」とは、ずいぶん違うところに来た気もします。

ひとつのことを深く追いかける人生にも、憧れはあります。

でも、どれかひとつに絞ろうとすると、やっぱり惜しいのです。

畑も、棚田も、音楽も、まだ知らない世界も。

どれも、もう少し続けてみたい。

欲張りなのかもしれません。

人生後半戦、自分の時間を何に使うか

こうして書きながら、最近の自分が何を大切にしたいのか、少しわかってきた気がします。

人生の後半戦。

出世や資産の額も、もちろん無関係ではありません。

お金がなければ、できないこともあります。

仕事を続ける以上、目の前の役割を果たすことも大切です。

でも、最近はそれ以上に気になることがあります。

自分が没頭できる時間を、これからどれだけ確保できるだろうか。

畑で、気づけば何時間も作業していること。

棚田で、季節の移ろいを感じること。

朝晩の短い時間に、音楽をつくること。

知らない世界に足を踏み入れ、これまで出会わなかった人たちと話すこと。

そういう時間を、もう少し増やしていきたいのです。

ただ、やりたいことが増える一方で、使える時間と体力には限りがあります。

若い頃のように、睡眠時間を削って何でもできるわけではありません。

だからといって、毎日を予定で埋め尽くしたいわけでもありません。

何もしない休日も好きです。

畑に行こうと思っていたのに、結局、家でのんびり過ごしてしまうこともあります。

それはそれで、悪くない休日です。

そう考えると、時間を有効活用しようとすること自体が、目的になってしまっても仕方がない気がします。

何かを成し遂げた一日もあれば、何もしなかった一日もある。

そのどちらも、自分で選んだ時間なら、それなりに納得できるのでしょう。

人生後半戦の勝負は、どれだけ忙しく過ごせるかではなく、自分の時間を何に使えるか。

今のところ、そんなふうに考えています。

明日になれば、またいつもの日常

40代になって、無理をしなくなりました。

自分にとって心地よい場所も、少しずつわかってきました。

それは、年齢を重ねて得られたものだと思います。

でも、そこにずっと留まっていたいかといえば、そうでもありません。

ときどき、知らない世界を覗いてみたい。

やったことのないことを、試してみたい。

昨日まで知らなかった何かを、知ってみたい。

そんな気持ちは、これからも持ち続けていたいものです。

体力は、きっと今より衰えていくのでしょう。

できなくなることも、少しずつ増えていくのだと思います。

それでも、物事の見方や考え方は、今より少しだけ豊かでありたい。

もっとも、明日になれば、またいつもの日常です。

朝起きて、会社に向かい、与えられた仕事をこなす。

疲れて帰ってきて、音楽をつくる気力が残っていない日もあるでしょう。

週末だって、何もせずに終わることはあります。

それも含めて、自分の人生です。

毎日、自分史上最高を更新するのは、難しい。

でも、昨日より、ほんの少しだけ知らないことを知る。

そんな一日が、ときどきあればいい。

先週の日曜日、山の中で鹿を見ました。

ほんの一瞬の出来事でしたが、今もその姿が頭に残っています。

あの日の自分は、前の日の自分より、

ほんの少しだけ世界を広く感じていたのかもしれません。

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