親孝行のかたちは、人それぞれでいい。40代の私が「父のこだわり」から気づいたこと

静かな暮らし

週末のルーティン、実家と棚田のひととき

週末になると、

ここ数年の恒例行事のように「棚田」へと車を走らせます。

自然に触れる心地よい時間ですが、

個人的にはもう一つ、とても大切な目的があります。

それは、高齢になった両親の様子を見に行くことです。

実家へ立ち寄ってから、棚田へ向かう朝

棚田で作業をする前の朝、まずは実家へ立ち寄るのが最近の週末の流れになっています。

  • 朝: 母親が作ってくれる朝ごはんを食べてから、棚田へ出発
  • 昼: 作業を終えた後、再び実家へ戻り、シャワーを浴びて昼ごはんを食べる
  • 午後: 両親と少し団欒(だんらん)の時間を過ごしながら、お願い事や困り事を手伝う

派手さはありませんが、

この穏やかな時間が、今の私にとってかけがえのないルーティンになっています。

父が執着する「USBの整理」と、かつてのイライラ

特に父親の変化は、この数年で強く感じるようになりました。

軽度のうつや認知症の気配もあり、以前よりもいわゆる「こだわり」が強くなっています。

今、父が一番気にしているのは「USBメモリの整理」です。

過去に自分で調べた四字熟語、地名、難しい言葉……。

そういったデータをテーマごとにUSBへ保存し、綺麗に分類することに強いこだわりを持っています。

「何の意味があるんだろう」と思ってしまった過去

正直に言えば、今のUSBの容量を考えれば、一つにまとめて保存してしまえば済む話です。

実際に、

父がそのデータを見返して楽しんでいるわけでもありません。

最初の頃は、手伝いながらも心の中でイライラしてしまうことがありました。

「これって、一体何の意味があるんだろう」 「そんなに細かく気にしなくてもいいじゃないか」

思わず、父にそんな言葉をぶつけてしまったこともあります。

しかし、

この作業を1年以上手伝う中で、私の考え方は少しずつ変わっていきました。

意味があるかないかは、自分が決めることではない。

効率や合理的かどうかなんて関係なく、

「父にとって意味があるなら、それで十分じゃないか」

と思えるようになってきたのです。

親子の立場は、少しずつ変わっていく

子どもの頃の父は、私にとって絶対的な存在でした。

厳しくて、頼りになって、どこか威厳があった。

でも、

歳を重ねるにつれて、少しずつその立場が変わっていくのを感じます。

  • 今まで当たり前にできていたことが、できなくなる
  • 誰かの小さな助けが、必要になる

そんな父の姿を見るたびに、胸の奥がキュッとなるような、

何とも言えない寂しさを感じることもあります。

「あぁ、親も確実に歳を取るんだな」と。

今の自分にできる、等身大の親孝行

それでも、ここまで自分を育ててくれたこと、

この世に誕生させてくれたことの恩は、きっと一生かかっても返し切れるものではありません。

だからこそ、

今の自分にできる等身大のことをやろうと思っています。

  • 父の話をじっくり聞くこと
  • 母の作ったご飯を、一緒に美味しいと食べること
  • 意味がないように思える、USBの整理を黙々と手伝うこと
  • 日常のちょっとした困り事に、とことん付き合うこと

世間一般で言われるような、

高級な旅行やプレゼントといった「派手な親孝行」ではありません。

でも、

これが今の自分なりの、精一杯の親孝行です。

「親孝行したいときに親はなし」を実感する40代

「親孝行したいときに親はなし」 昔からよく聞くこの言葉を、

40代になった今、身に染みて実感するようになりました。

いつまでも、両親が元気でいてくれるわけではない。

だからこそ、

後悔しないように、
自分なりのやり方で、
できる範囲で、
両親の晩年を支えていきたい。

そしていつか、お別れの時が来たとしても、

「あの時、自分なりに精一杯やれた」

そう思えたなら、

少しは親孝行ができたと言えるのかもしれません。

そんなことを深く考えさせられた、

週末の実家時間でした。

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