週末のルーティン、実家と棚田のひととき
週末になると、
ここ数年の恒例行事のように「棚田」へと車を走らせます。
自然に触れる心地よい時間ですが、
個人的にはもう一つ、とても大切な目的があります。
それは、高齢になった両親の様子を見に行くことです。
実家へ立ち寄ってから、棚田へ向かう朝
棚田で作業をする前の朝、まずは実家へ立ち寄るのが最近の週末の流れになっています。
- 朝: 母親が作ってくれる朝ごはんを食べてから、棚田へ出発
- 昼: 作業を終えた後、再び実家へ戻り、シャワーを浴びて昼ごはんを食べる
- 午後: 両親と少し団欒(だんらん)の時間を過ごしながら、お願い事や困り事を手伝う
派手さはありませんが、
この穏やかな時間が、今の私にとってかけがえのないルーティンになっています。
父が執着する「USBの整理」と、かつてのイライラ
特に父親の変化は、この数年で強く感じるようになりました。
軽度のうつや認知症の気配もあり、以前よりもいわゆる「こだわり」が強くなっています。
今、父が一番気にしているのは「USBメモリの整理」です。
過去に自分で調べた四字熟語、地名、難しい言葉……。
そういったデータをテーマごとにUSBへ保存し、綺麗に分類することに強いこだわりを持っています。
「何の意味があるんだろう」と思ってしまった過去
正直に言えば、今のUSBの容量を考えれば、一つにまとめて保存してしまえば済む話です。
実際に、
父がそのデータを見返して楽しんでいるわけでもありません。
最初の頃は、手伝いながらも心の中でイライラしてしまうことがありました。
「これって、一体何の意味があるんだろう」 「そんなに細かく気にしなくてもいいじゃないか」
思わず、父にそんな言葉をぶつけてしまったこともあります。
しかし、
この作業を1年以上手伝う中で、私の考え方は少しずつ変わっていきました。
意味があるかないかは、自分が決めることではない。
効率や合理的かどうかなんて関係なく、
「父にとって意味があるなら、それで十分じゃないか」
と思えるようになってきたのです。
親子の立場は、少しずつ変わっていく
子どもの頃の父は、私にとって絶対的な存在でした。
厳しくて、頼りになって、どこか威厳があった。
でも、
歳を重ねるにつれて、少しずつその立場が変わっていくのを感じます。
- 今まで当たり前にできていたことが、できなくなる
- 誰かの小さな助けが、必要になる
そんな父の姿を見るたびに、胸の奥がキュッとなるような、
何とも言えない寂しさを感じることもあります。
「あぁ、親も確実に歳を取るんだな」と。
今の自分にできる、等身大の親孝行
それでも、ここまで自分を育ててくれたこと、
この世に誕生させてくれたことの恩は、きっと一生かかっても返し切れるものではありません。
だからこそ、
今の自分にできる等身大のことをやろうと思っています。
- 父の話をじっくり聞くこと
- 母の作ったご飯を、一緒に美味しいと食べること
- 意味がないように思える、USBの整理を黙々と手伝うこと
- 日常のちょっとした困り事に、とことん付き合うこと
世間一般で言われるような、
高級な旅行やプレゼントといった「派手な親孝行」ではありません。
でも、
これが今の自分なりの、精一杯の親孝行です。
「親孝行したいときに親はなし」を実感する40代
「親孝行したいときに親はなし」 昔からよく聞くこの言葉を、
40代になった今、身に染みて実感するようになりました。
いつまでも、両親が元気でいてくれるわけではない。
だからこそ、
後悔しないように、
自分なりのやり方で、
できる範囲で、
両親の晩年を支えていきたい。
そしていつか、お別れの時が来たとしても、
「あの時、自分なりに精一杯やれた」
そう思えたなら、
少しは親孝行ができたと言えるのかもしれません。
そんなことを深く考えさせられた、
週末の実家時間でした。
