今年の新米が昨年に比べて下がっているとの報道が出ています
需給の状況によって、価格変動が起こるのは市場原理といえばそれまでですが、
自分がお米を作る側になったからこそ、そういった報道を見ると
新米が安い、と喜べなくなった理由
新米の価格についての報道を見ていて、なんだかモヤモヤしました。
燃料費も上がっている。
資材費も上がっている。
一方で、テレビでは米農家さんが厳しい状況を話しているインタビューをよく目にします。
それでも、そんな農家側の事情とは別のところで、市場価格は決まっていきます。
自分では価格を決められない、という構造
普通の商売として考えれば、原価が上がれば、その分を販売価格に乗せる。
もちろん、
実際の商売はそんなに単純ではありませんが、
営利企業であれば利益を残さなければ続けていけないので、値上げを考えるのは自然なことだと思います。
ところが、米農家の場合はそう簡単ではない。
多くの農家はJAなどを通じて米を出荷し、提示された概算金を受け取る形になります。
自分で作ったものなのに、自分では価格を決められない。
もちろん、
これまでそういう仕組みが必要とされてきた理由もあるでしょうし、
僕自身、農業の流通についてすべてを理解しているわけではありません。
ただ、
自分でも米づくりに関わるようになってから、この構造が以前より気になるようになりました。
農家側にまったく問題がない、とも思っていません。
作った米をそのまま出荷するだけではなく、
そこに何か付加価値をつけたり、
自分で販路を作ったり、
消費者が何を求めているのかを考えたり。
生産者側にも、まだできることはあるのかもしれません。
でも、それも言うほど簡単ではない。
田んぼに入って分かったこと
実際に田んぼで作業をしていると、
米を作るだけでも相当な手間がかかることが分かります。
身体を使って、天候にも左右される。
暑いから今日はやめておこう、雨が降ったから来週にしよう、
と自分の都合だけでは決められないこともある。
そのうえで販路を開拓して、商品を考えて、発信して、販売までやる。
「農家も経営努力をすればいい」と言うのは簡単ですが、
実際に土に触れるようになってからは、以前ほど簡単には言えなくなりました。
AIと身体労働のあいだで
そして、もうひとつ考えてしまうのがAIのことです。
これからホワイトカラーの仕事のすべてがなくなるとは思いませんが、
AIに代替される仕事は増えていくでしょう。
僕自身も会社員として働きながらAIを使っているので、その変化はかなり身近に感じています。
一方で、農業や建設業のように、現場で身体を動かさなければ成り立たない仕事があります。
自分で農作業をするようになって、その重要性を以前より実感するようになりました。
パソコンの前で仕事をしているだけでは、米はできません。
どれだけAIが進歩しても、
誰かが田んぼに出て、
草を刈って、
水を見て、
稲を育てなければならない。
そう考えると、
これからむしろ、こうした仕事の価値は高くなっていくんじゃないかと思っています。
でも、
価値が高いことと、そこで働く人がきちんと報われることは、
どうやら別の話らしい。
身体を使い、天候にも振り回されながら、僕たちが毎日食べるものを作っている。
それなのに、続けていくのが苦しい。
そんな姿を見て、若い人が「自分も農業をやりたい」と思うだろうか。
そこが一番気になります。
値札の向こう側
「破壊と創造」という言葉があります。
仕組みが大きく変わるには、本当に行くところまで行かないと変わらないのかもしれません。
でも、食べ物のことなので、行くところまで行ってからでは遅いような気もする。
市場に任せることと、農家が続けていけること。
消費者が安く買えることと、作る人がきちんと報われること。
そのあいだを、どうすればいいのか。
僕にもまだ分かりません。
ただ、
新米が安いというニュースを見て、
以前のように「安く買えるならありがたい」とだけは思えなくなりました。
田んぼに入るようになって、
米の値札の向こう側が少しだけ見えるようになったからかもしれません。
