甥甥っ子の進路に、少し嫉妬した

人生再構築

甥っ子の進路に、少し嫉妬した

甥っ子と姪っ子が、来年それぞれ高校と中学校を卒業する。

二人そろって受験の年だ。

先日、たまたま兄弟でLINEをしていたとき、二人の進路はどうするのかという話になった。

姪っ子はバレエ、甥っ子はゲーマー

姪っ子は、小さい頃から続けているバレエができる学校へ進学するらしい。

ずっと続けてきたものでもあるし、なんとなく想像していた進路だった。

それほど驚かなかった。

驚いたのは、甥っ子のほうだった。

親である姉も、以前から甥っ子の進路を心配していた。

詳しく聞いてみると、

ゲームが好きで、将来はゲーマーになりたいのだという。

しかも、自分で専門学校を調べ、すでに受験して合格していた。

おそらく、その学校に進学するらしい。

そこまで話が進んでいたことに、まず驚いた。

こちらが心配したり、本人の将来を想像したりしているあいだに、

甥っ子は自分で学校を探し、自分で受験していた。

まだ進路を迷っているのだと思っていたが、

本人の中では、すでにある程度決まっていたのかもしれない。

心配する姉の気持ち

今は、親が子どもの進路を一方的に決めるような時代ではない。

それでも、学歴社会の中を歩いてきた姉にとっては、心配が尽きないようだった。

大学に行かなくて大丈夫なのか。

ゲームを仕事にして、生活していけるのか。

好きなことが、そのまま仕事になるほど甘くはないのではないか。

姉の話しぶりからは、そんな不安が伝わってきた。

親としては、できるだけ安全な道を歩いてほしいのだと思う。

食べていける可能性が高く、途中で選択肢が狭まらず、世間から見ても説明しやすい道。

それを願うのは、親として自然なことなのだろう。

心配しながらも、最後は本人に任せるしかない。

姉は、少し諦めにも似た状態だった。

「自分で決めた」ということ

私も最初に聞いたときは、正直びっくりした。

ゲームの専門学校。

自分が高校生だった頃には、進路の選択肢として考えたこともなかった。

そもそも、ゲームを仕事にするという発想自体が、今ほど身近ではなかったと思う。

ただ、少し時間を置いて考えてみると、見え方が変わってきた。

甥っ子は、自分で学校を調べ、自分の意思で受験し、合格までしている。

誰かに勧められたからではなく、自分で選んでいる。

それなら、それはそれでいいのかもしれないと思った。

もちろん、好きなゲームを仕事にすることと、

家で好きなだけゲームをすることは、同じではないだろう。

実際にどんな仕事につながるのか。

どれくらいの人が、それで生活していけるのか。

学校で何を学び、卒業したあとに、どんな道があるのか。

私には分からない。

心配がないわけではない。

ただ、よく分からないという理由だけで、その道を否定するのも違う気がした。

私が知らないだけで、甥っ子は自分なりに考えているのかもしれない。

少なくとも、何となく進学するよりは、自分が行きたいと思える場所を選んでいる。

そのことは、もう少し大事に見てもいいのではないかと思った。

私は、好きなことを進路にしただろうか

ゲームだろうが何だろうが、

自分が好きで、時間を忘れて没頭できることでお金を稼げたら、

それはかなり幸せなことだと思う。

子どもの頃は、多くの人がどこかで、そんな暮らしに憧れていたのではないだろうか。

好きなことをして生きていきたい。

嫌なことはなるべくせず、自分が夢中になれることに時間を使いたい。

ところが大人になるにつれて、現実的な選択肢を考えるようになる。

どの学校に行けば就職に有利なのか。

どの会社なら安定しているのか。

どんな仕事なら、周りを安心させられるのか。

そうやって進学し、就職し、決められた時間に働く生活が当たり前になっていく。

私も、その道を歩いてきた。

地方銀行に勤めて20年。

安定した会社で働き、毎月決まった給料をもらっている。

もちろん、その道を否定するつもりはない。

会社員だから得られたものも、たくさんある。

仕事を通して学んだこともあるし、生活の土台をつくってくれたのも会社だった。

ただ、

自分が高校生の頃、本当にやりたいことを進路にしようとしただろうか。

そう考えると、少し自信がない。

好きなことよりも、失敗しにくそうな道。

自分の気持ちよりも、周囲が納得しそうな道。

そんな基準で進路を決めていた部分も、たぶんあったと思う。

それが間違いだったとは思わない。

当時の自分には、そうするしかなかったのかもしれない。

それでも、甥っ子が好きなものを正面から進路に選んだと聞いたとき、

心のどこかが少しざわついた。

心配の隣にあったもの

その選択は大丈夫なのか。

将来、後悔しないのか。

ゲームだけで食べていけるのか。

そんな心配の隣に、少し羨ましいという感情があった。

自分の好きなものを、進路として堂々と選べること。

うまくいくかどうか分からない道を、自分で調べて受験できること。

まだ何者でもない段階で、「自分はこれをやりたい」と言えること。

私は甥っ子の進路を心配しながら、その思い切りのよさに、少し嫉妬していたのかもしれない。

大人になった自分は、何かを始める前に、いろいろと考えてしまう。

仕事になるのか。

続ける意味があるのか。

時間やお金をかけて、何が残るのか。

始める前から出口を探してしまう。

甥っ子にも、もちろん不安はあるのだろう。

ただ、少なくとも今は、損得や世間体よりも先に、やりたいものがある。

その順番が、少し羨ましかった。

AIの時代に残るもの

これからAIがどこまで進化していくのかは分からない。

知識を覚えることや、決められた作業を正確にこなすことの価値も、

今後は変わっていくのだと思う。

だからといって、勉強や学歴に意味がなくなるとは思わない。

受験を通して学ぶこともあるだろうし、

学校名が、その人の努力や能力を示す場面も、しばらくは残るはずだ。

ただ、知識の量や処理の速さだけで人の価値を測るのは、難しくなっていく気がする。

では、そんな時代に人に残るものは何だろう。

自分が面白いと思うものを見つけること。

頼まれなくても、時間を使ってしまうこと。

うまくいかなくても、もう少し試してみようと思えること。

誰かに評価される前から、続けてしまうこと。

そういうものは、簡単には代わってもらえないのかもしれない。

もちろん、好きなだけでは仕事にならない。

技術も必要だろうし、努力も、運もいる。

好きだったものが、仕事になった途端に苦しくなることもある。

それでも、

没頭できるものがある人は、何もないところから始める人より、

少し先に進めるのかもしれない。

甥っ子が持っているのが本当にその力なのかは、まだ分からない。

ただ、自分が好きなものを見つけ、そこへ向かって動いた。

今のところ、私に分かるのはそれくらいだ。

まだ分からない、それでも

甥っ子が選んだ道が、将来どこにつながるのかは分からない。

もしかしたら、途中で違うと思うかもしれない。

ゲームを仕事にする難しさを知り、別の道を選ぶこともあるだろう。

それでも、自分で調べて、自分で決めたという経験は残る。

うまくいかなければ、また選び直せばいい。

そう簡単には言えないのかもしれないが、

少なくとも、最初から誰かに決められた道を歩くより、

自分で選んだ道のほうが、納得できることもある気がする。

42歳になった私は、進路を選ぶ若者を心配する側にいる。

一方で、自分にもまだ、夢中になれるものを探している部分がある。

畑に通ったり、文章を書いたり、AIを触ったりしながら、

会社以外の場所にも、自分の時間を少しずつ広げようとしている。

考えてみれば、

それもまた、好きなものの方向へ歩こうとしている途中なのかもしれない。

甥っ子の話を聞きながら、私は彼の将来よりも、

いつの間にか自分のこれまでを振り返っていた。

ゲーマーになるという進路が正しいのかは、今の私には分からない。

姉の心配も、よく分かる。

それでも、

好きなものを好きだと言って、

その方向へ歩き出した甥っ子を、私は少しだけ羨ましく思っている。

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