あまりにも早い訃報
先週、会社で知り合いだった先輩が亡くなりました。
数年前に癌が見つかり、治療を経て仕事にも復帰されていたので、
てっきり回復に向かわれているものだと思っていました。
ただ、闘病されていると聞いてからお会いした際には、
以前と比べて随分と痩せられた印象がありました。
そして、突然の訃報。
ずっと一緒に仕事をしてきたわけではなく、
これまでに何度か関わらせていただいた程度の先輩です。
それでも、同じ会社で働き、同じ時代に、同じ空気を吸っていた一人の人間として、
いろいろと考えさせられました。
ご家族の悲しみは計り知れません。
ご本人にも、まだまだやりたいことがあったかもしれない。
ご家族と過ごしたかった時間も、これから経験したかったことも、
きっとあったのではないかと思います。
もちろん、
ご本人がどのような思いで人生を歩まれていたのかは、私には分かりません。
ただ、改めて思いました。
人生って、いったい何なんだろう。
「いつか」は、本当にやってくるのか
私たちは、当たり前のように明日が来ると思って生活しています。
仕事が落ち着いたら。
もう少しお金が貯まったら。
子どもが大きくなったら。
定年退職したら。
そんなふうに、やりたいことを未来に預けながら、毎日を過ごしています。
でも、その未来が必ずやってくる保証なんて、どこにもありません。
今回の出来事をきっかけに、自分自身に問いかけてみました。
もし、
自分に残された時間が想像していたよりもずっと短かったら、何を後悔するだろう。
そこで浮かんだのは、
「使いきれもしないお金を稼ぐために、自分の人生の時間を使ってしまったこと」
という答えでした。
お金を増やすことが、人生の目的になっていないか
現在、私の収入の大部分は会社員としての給与収入です。
いわゆる、自分の時間を提供することで得られる労働収入。
一方で、
株式投資による配当金など、働く時間に直接依存しない収入も少しずつ積み上げています。
将来的には、配当金や投資信託の取り崩しなどを組み合わせ、経済的な自由を手に入れたい。
そんなことを考えながら、これまで資産形成を続けてきました。
ただ、ここで一つ疑問が生まれました。
資産が増えれば増えるほど、本当に人生は豊かになるのだろうか。
もちろん、お金は大切です。
生活を守るためにも、家族の安心のためにも、ある程度の経済的な基盤は必要です。
でも、例えば5,000万円の資産が7,000万円になったとして、
その2,000万円を増やすために費やした時間に見合うだけの幸福が得られるのか。
お金は後から稼ぎ直すことができるかもしれません。
でも、過ぎ去った時間だけは、絶対に取り戻せない。
そう考えると、
これまで当然のように追いかけてきた資産形成の目標も、少し違って見えてきます。
仕事がなかった今日の一日
そんなことを考えていた今日。
本来なら平日で仕事だったのですが、長期休暇を取得していたため、お休みでした。
今日は何をしていたかというと、
朝から愛犬を散歩に連れて行き、妻を勤務先まで送迎。
車を洗車して、YouTubeに投稿する動画の編集やSNSでの発信作業。
愛犬を義実家に預けた後は、畑に向かって耕運作業。
育てていた落花生とさつまいもの試し掘りもしました。
その後は、明日からの鹿児島旅行に向けて、知り合いへのお土産や旅行用品を購入。
そして、夜にはこうしてブログを書いています。
振り返ってみると、なかなか盛りだくさんの一日でした。
でも、不思議と嫌な疲れではありません。
誰かに指示されたわけでもなく、何かのノルマを達成するためでもない。
ただ、
自分がやりたいことや、必要だと思うことを次々にやっていたら、
あっという間に一日が終わっていました。
そこで気づいたんです。
あれ、これが自分のやりたい生活なんじゃないか。
仕事がなくても、やりたいことは山ほどある
実際、
今日の一日だけでは、やりたいことを全部こなせたわけではありません。
例えば、以前購入した築古戸建の修繕作業。
今年はなかなか時間を確保できず、ほとんど手をつけられていません。
本当は、もっとDIYに時間を使いたい。
傷んだところを直して、住める状態にして、誰かに貸す。
家賃収入が得られるようになれば、その収入を元手に、
また新しい物件を購入することもできるかもしれません。
物件を修繕するたびに、自分自身のDIY技術も向上していくでしょう。
もちろん、不動産賃貸は完全な不労所得ではありません。
修繕も管理も必要ですし、空室のリスクだってあります。
でも、それも含めてやってみたいんです。
音楽制作も同じです。
今年から本格的に取り組んでいるRE∞CLAIMという音楽活動。
AIを使いながら、自分の感じたことや考えたことを音楽として表現する。
作曲も、作詞も、動画編集も、SNSでの発信も、まだまだ試行錯誤の連続です。
それでも、もっといろいろな表現に挑戦してみたい。
もちろん、収益化できれば嬉しいです。
ただ、仮に生活費が十分に確保できていたとしても、
私は空き家再生も音楽制作も続けたいと思います。
そこで、また一つ気づきました。
自分は、働きたくないわけじゃない
会社員という働き方を辞めたい。
そう思うことは、決して働くことそのものが嫌いだからではないんですよね。
むしろ、やりたいことは山ほどある。
畑で野菜を育てたい。
棚田で米を作りたい。
山に入って自然と向き合いたい。
古い家を自分の手で再生したい。
音楽を作って、誰かに届けたい。
家族との時間も大切にしたい。
そして、そんな日々の出来事をブログに残していきたい。
何もせずに、のんびり暮らしたいわけではありません。
自分の人生の時間を、何に使うのか。
その決定権を、もっと自分自身で持ちたい。
おそらく、私が求めている自由の正体は、そこにあるのだと思います。
FIREを目指すことさえ、先延ばしになっていないか
ここで、少し怖いことにも気づきました。
私はこれまで、経済的自由を手に入れるために資産形成を続けてきました。
でも、
「あと少し資産が増えたら」
「配当金が年間300万円になったら」
「もっと生活に余裕ができたら」
そんなことを言い続けていたら、
結局、人生で最も大切な時間を先延ばしにしてしまうのではないか。
FIREを目指しているはずなのに、
FIREを実現するための準備ばかりに人生を費やしてしまう。
それでは、本末転倒なのかもしれません。
もちろん、勢いだけで会社を辞めるつもりはありません。
家族の生活もありますし、将来の備えも必要です。
でも、
今後は資産形成の考え方を少し変えてみてもいいのではないかと思っています。
これまでは、
「どうやって、もっとお金を増やすか」
これからは、
「今あるお金を使って、どうやって自分の時間を取り戻すか」
資産を最大化することよりも、自分が納得できる時間の使い方を最大化すること。
そんな方向に、人生の舵を切っていきたいと思います。
今日のような一日を、あと何日増やせるだろう
振り返ると、今日一日は特別なイベントがあったわけではありません。
犬の散歩をして、
妻を送迎して、
車を洗って、
畑を耕して、
音楽活動をして、
ブログを書いた。
ただ、それだけです。
でも、私にとっては、こういう一日こそが豊かな人生なのかもしれません。
別に毎日が充実していなくてもいい。
何もしない日があってもいい。
気が向いたら山へ行き、天気が良ければ畑へ行く。
雨が降ったら、家の中で音楽を作ったり、本を読んだりする。
そんな生活を、自分の意思で選択できるようになりたい。
考えてみれば、やりたいこと自体は、すでに目の前にたくさんあります。
足りないのは、それらに使える時間なのかもしれません。
だから、これからは自分自身に問いかけていきたいと思います。
「あといくら稼げば安心なのか」ではなく、
「今日のような一日を、人生の中であと何日増やせるだろうか」
と。
人生は、いつ終わるか分からない
先輩の訃報から、こんなところまで考えが広がりました。
人の死を、自分の人生の教訓として簡単に語ることには、少し抵抗があります。
その方にはその方の人生があり、大切にされていたものがあったはずだからです。
ただ、同じ時代を生き、
わずかでも接点のあった方が亡くなったことで、
自分自身の生き方を見つめ直すきっかけをいただいたのも事実です。
人生は、いつ終わるか分からない。
だからといって、焦って生きる必要はないと思います。
でも、本当にやりたいことがあるのなら、いつまでも未来に預けておく必要もない。
お金を稼ぐために人生があるのではなく、人生を楽しむためにお金がある。
そんな当たり前のことを、改めて考えた一日でした。
人生の時間を、もう少し自分自身に返していきたい。
今は、そんな気持ちです。
先輩のご冥福を、心よりお祈りいたします。
