音楽を作り始めて、気づいたこと
今年の夏頃から、趣味で音楽制作を始めた。
最初は軽い気持ちだったのに、気づけばすっかりのめり込んでいる。
自分の頭の中にあるイメージが、少しずつ音楽になっていく。
これが本当に面白い。
でも、
のめり込めばのめり込むほど、芸術って難しいなと思うようになった。
何が正解なのか。
何をもって良い作品と言えるのか。
そもそも、芸術に正解なんてあるのだろうか。
そんなことを考える時間が増えてきた。
自分というフィルターの限界
音楽を作っていて感じるのは、
結局、
作品は自分というフィルターを通して生まれてくるということ。
これまで見てきた景色。
自分自身が体験してきたこと。
読んできた本。
聴いてきた音楽。
誰かと交わした言葉。
そして、
日々の生活の中で思考を重ねてきたこと。
そういったものが、自分という入れ物の中に蓄積されている。
そして、
それらが混ざり合い、自分なりの解釈を経て、一つの作品になる。
そう考えると、
作品の可能性を広げるには、自分自身の世界を広げる必要があるのだと思う。
今の自分が持っている引き出しだけでは、どうしても表現できることに限界がある。
実際、何曲も作っていると、
どこか似たような曲になってしまうことがある。
メロディーも、リズムも、歌詞の世界観も。
無意識のうちに、自分が心地よいと感じる方向へ寄っていく。
自分らしさと言えば聞こえはいいけれど、
単に慣れ親しんだ表現の中に収まっているだけなのかもしれない。
まだまだ、自分の創作の守備範囲は狭い。
自分らしさを深めるために、自分らしくない場所へ
では、
その殻をどうやって破るのか。
最近思うのは、意識的に自分にとって異質なものに触れることの大切さだ。
普段なら聴かないジャンルの音楽を聴いてみる。
興味がなかった分野の本を読んでみる。
自分とはまったく違う価値観を持つ人の話を聞いてみる。
いつもなら選ばない場所へ行ってみる。
あえて、
自分が少し居心地の悪さを感じるような体験をしてみる。
もちろん、
何でもかんでも新しいことをすればいいわけではない。
でも、
自分の好きなものや、
慣れ親しんだものだけに囲まれていると、
どうしても世界は狭くなってしまう。
自分が心地よいと感じるものだけを選び続ければ、
そこから生まれる作品も、
いつしか似たようなものになるのではないだろうか。
自分らしい作品を作りたいのに、
自分らしさだけに頼っていると、
自分の殻から抜け出せなくなる。
なんだか矛盾しているようだけれど、
創作の面白さも、難しさも、
そこにある気がする。
違和感の先に、新しい感性がある
最近は「違和感」というものが、
実は結構大切なんじゃないかと思っている。
何かを見たり、聴いたり、体験したときに感じる、
「なんだこれ?」
「自分だったら、こうはしないな」
「正直、よくわからない」
そんな感覚。
以前なら、
そこで自分には合わないと判断して終わっていたかもしれない。
でも、
その違和感こそ、自分の知らない世界に触れている証拠なのではないだろうか。
なぜ、自分はこれを変だと感じるのか。
なぜ、この表現が誰かの心を動かすのか。
そうやって少し立ち止まって考えてみると、
今までとは違う景色が見えてくるかもしれない。
新しい感性を身につけるというのは、
必ずしも新しい何かを好きになることではないと思う。
自分にはなかった物事の捉え方を、一つ知ること。
それだけでも、
自分というフィルターは少しずつ変わっていくのだと思う。
創作は、自分自身を広げる旅なのかもしれない
音楽を作り始めた頃は、もっと良い曲を作りたいという気持ちが中心だった。
もちろん、今でもそれは変わらない。
でも最近は、良い作品を作るために何を学ぶかということ以上に、
どんなものに触れ、
何を感じ、
どう生きていくかということまで、
創作につながっている気がしている。
そう考えると、
音楽制作は単なる趣味ではなく、
自分自身の世界を広げるきっかけにもなっている。
そして、
何も特別な場所へ行く必要はないのかもしれない。
いつもの風景を違う角度から見てみる。
当たり前だと思っていたことを疑ってみる。
普段なら選ばない小さな選択をしてみる。
そんな日常の中にも、新しい感性に出会う機会はたくさんあるはずだ。
43歳になって、改めて思う。
まだまだ、自分の知らない世界は山ほどある。
そして、
自分の中にも、まだ知らない自分がいるのだと思う。
せっかくなら、
これからも自分の心地よい世界に閉じこもらず、
もっといろんなものを見て、聴いて、体験してみたい。
それがいつか、自分でも想像していなかった作品につながったら面白い。
そんなことを、音楽制作を通して徒然と考えてみた。
みなさんは最近、
自分にとって違和感を覚えるようなことを、あえてしてみたことはありますか?
