今朝、マックの二階、窓際の席に座っていました。
コーヒーを飲みながら、ふと窓の外を眺める。
駅へ向かう人。
スマホを見ながら歩く人。
眠そうな顔で急ぐ人。
学生、スーツ姿の会社員、作業着を着た人。
信号が変わるたびに、次から次へと人が現れて、同じ方向へ流れていきます。
少子化、少子化と言われている日本ですが、こうして上から眺めていると、
「人って、どこからこんなに湧いてくるんだろう」
と思うほどでした。
同じ方向へ流れていく人たち
言葉は悪いですが、その光景が、自分には巨大な何かに人間が次々と吸い込まれていくように見えました。
仕事へ向かう人。
学校へ向かう人。
どこかへ急ぐ人。
望んでこの生活をしているのか。
仕方なく続けているのか。
そもそも、そんなことを考えることすらなくなっているのか。
もちろん、窓の上から眺めているだけの自分には分かりません。
会社へ行くことに充実感を持っている人もいるだろうし、学校へ行くのが楽しみな人もいるでしょう。
ただ、信号が変わるたび、みんながあまりにも自然に同じ流れの中へ入っていく。
その姿を見ていると、少し不思議な気持ちになりました。
朝8時前、ティッシュを配る人
そんな中、ひとりだけ妙に目に入る女性がいました。
朝8時前。
ジムの看板を体に掛けて、満面の笑顔でティッシュを配っています。
差し出しても受け取ってもらえない。
また次の人に差し出す。
また断られる。
それでも表情を変えず、次の人へ手を伸ばしていました。
その姿が、なんだかとても爽やかでした。
ただ同時に、
「この人も、この大きな仕組みの中にいるんだよな」
とも思いました。
ジムの宣伝という仕事があって、その役割を担っている。
駅へ向かう会社員も、学校へ向かう学生も、ティッシュを配る人も。
やっていることはまったく違うけれど、それぞれが自分の場所で役割を持って動いている。
そうやって社会は毎朝、何事もなかったように動き始める。
何かに縋っていないと、人はグラグラするのか
そこで、ふと勝手な仮説が浮かびました。
人間って、何かに縋っていないと、グラグラ揺れて生きていけない存在なんじゃないだろうか。
会社へ行く。
働く。
お金を稼ぐ。
家族を養う。
もちろん、それが悪いと言いたいわけではありません。
自分だって会社員として働いて給料をもらい、その仕組みにずいぶん支えられて生きています。
むしろ、毎朝行く場所があって、やることがあって、自分の役割がある。それによって保たれている部分もある気がします。
それでも、こうして毎朝たくさんの人が同じ時間に駅へ向かっていくのを眺めていると、ときどき妙な感覚になります。
ずっと昔から誰かが読み始めた大きなストーリーを、自分たちも途中から渡されて、その続きを読んでいるような。
学校へ行く。
働く。
お金を稼ぐ。
家庭をつくる。
いつからこのストーリーが始まったのか、自分にはよく分かりません。
どこまで自分で選んで読んでいるのか。
どこから読まされているのか。
その境目も、よく分からない。
ただ、だからといって、そのストーリーを全部放り出して生きられるのかと聞かれたら、それも分かりません。
何にも所属せず、何の役割もなく、完全に自由になったら、人は本当に自由でいられるのか。
むしろ、足元がなくなってグラグラしてしまうのかもしれない。
自分にはまだ、その答えはありません。
窓の向こう側へ
時計を見ると、そろそろ自分も会社へ向かわなければいけない時間でした。
さっきまで二階の窓から、人の流れを眺めながらあれこれ考えていた自分も、会社員です。
コーヒーを飲み干して、席を立つ。
階段を降りる。
ドアを開けて、外へ出る。
そして、さっきまで窓越しに眺めていた流れの中へ、自分も入っていく。
別に誰かに引っ張られたわけでもありません。
自分の足で会社へ向かいます。
それでも、さっきまで上から見ていた景色の中に自分が入ってみると、少しだけ変な感じがしました。
午前八時前。
街はもう、とっくに動き始めています。
その流れがいいのか、悪いのか。
そこから抜け出したいのか、それとも何かに支えられながら生きていたいのか。
まだよく分かりません。
とりあえず今朝も、自分はその中のひとりとして会社へ向かいました。
