隣の人を、思い出せない朝

人生再構築

平朝、出社のために電車に乗る。

駅を重ねるごとに車内は混み始め、
気づけば満員電車になっていた。

磁石に吸い寄せられるように、
人の流れはそれぞれの目的地へ向かっていく。

世間では少子高齢化と言われるけれど、
この景色を見ていると、
本当にそうなのだろうかと思うくらいの人の多さだ。

きっと、一人ひとりがそれぞれの物語を生きている。

スマートフォンを見つめる人。
急ぎ足で歩く人。
眠そうに目を閉じる人。
イヤホンで何かを聴いている人。

同じ車両にいても、
それぞれ違う朝を過ごしている。

そんなことを考えながら一日を終え、
ふと気づいた。

今日、自分の隣に座っていた人のことを、
まったく思い出せない。

朝も帰りも、
あれだけ多くの人と同じ空間にいたのに。

少し驚いた。

でも、それは隣の人に興味がないからではなく、
自分もまた、自分自身の物語を生きることに
精一杯だったからなのかもしれない。

情報は、退屈する暇を与えてくれない

考えてみると、
最近は「何もしない時間」がほとんどない。

電車を待つ数分。
食事の時間。
電子レンジが温まるまでの数十秒。

少しでも時間が空くと、
無意識にスマートフォンを開いている。

情報は次から次へと流れてきて、
退屈する暇もない。

便利になったはずなのに、
その代わりに「今、この瞬間」を感じる時間を
少しずつ手放しているような気もする。

今日、自分は何を食べたのか。
どんな味だったのか。
電車の窓からどんな景色が見えていたのか。

そんな些細なことさえ、
思い出せない日が増えている。

もちろん、文明の力を否定したいわけではない。

AIもスマートフォンも、
私の生活を確実に豊かにしてくれている。

だから手放そうとも思わない。

ただ、その便利さや刺激の強さに、
自分の感覚まで預けてしまってはいないだろうか。

そんな問いは、
ときどき自分に投げかけてみたいと思う。

答えを出す必要はない。

でも、「自分はいま情報の渦の中にいる」と
気づいているのと、
気づかないままでいるのとでは、
日々の過ごし方は少し変わる気がする。

土には、情報ではなく感覚がある

だから私は、
週末になると土に触れたくなるのかもしれない。

畑では、
スマートフォンを眺めているだけでは
気づけない、小さな変化がある。

葉の色、土の匂い、風の向き。

そこには、
情報ではなく感覚でしか
受け取れないものがある。

会社員として情報に囲まれながら生きる日々と、
土に触れて身体感覚を取り戻す週末。

その「あいだ」を行き来する時間が、
今の自分にはちょうどいいのかもしれない。

あなたは今日、
隣に誰がいたか、覚えていますか。

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