草取りは、無駄な時間ではなかった

静かな暮らし

今日は畑や棚田ではなく、
家の庭と家の前の歩道の草取りをしました。

猫じゃらしと、2時間半

猫じゃらしを中心に、
雑草がびっしり。
「1時間くらいで終わるかな」と思って始めたものの、
気になり始めると止まりません。
結局、細かいところまで手を入れてしまい、
終わってみれば2時間半。
今日もたっぷり汗をかきました。

暑くなってくると、
雑草との闘いが始まります。
畑でも棚田でも、
そして家でも。
農業をやるようになってから、
雑草とはもう切っても切れない関係なんだなと思うようになりました。

コスパ、タイパが当たり前の時代。
私自身も効率を重視するタイプなので、
少し前までは草取りなんて「人生で一番無駄な時間じゃないか」と思っていました。
できることなら、
生えてこないでほしい。
その時間を別のことに使えたら、
もっと生産的なのに、と。

一蓮托生、という関係

でも、農業を始めてから少し考え方が変わりました。
私は農薬をできるだけ使いたくありません。
だから雑草とは戦うというより、
一蓮托生のような関係です。
もちろん、
生えないに越したことはありません。
それでも、地球そのものが持っている生命反応なのだと思えば、
「しょうがないよな」と受け入れられる自分もいます。

草を抜く、それだけ

そして、草取りをしていると、
もう一つ気づくことがあります。

草を抜く。
それだけ。

不思議なくらい時間を忘れます。
気づけば2時間、
3時間と過ぎている。

普段の私たちは、
スマホを見ながら何かを考え、
通知が来れば反応し、
SNSを開いて、
また別の情報を見る。
頭の中はいつもマルチタスクです。
でも草取りには、
それがありません。
目の前の一本を抜く。
また一本抜く。
それだけです。
とてもシンプルなシングルタスク。
だからこそ、
自然とフロー状態に入っているのかもしれません。

スマホを眺めて夢中になる時間もあります。
でも、それとは少し違う感覚があります。
土に触れ、
草を抜き、
自分の身体を動かしながら没頭する時間には、
どこか心が静かになる感覚があります。

少し、軽くなった

禅や仏教では、
掃除をとても大切にすると聞いたことがあります。
身の回りの乱れは、
自分の心の乱れでもある。
そんな考え方です。
それが本当かどうかは分かりません。
ただ、汗だくで庭を見渡したとき、
さっきまでの自分より少し軽くなっている気がしました。
理由はうまく説明できません。

草取りも掃除も、
効率だけで考えれば無駄な時間なのかもしれません。
けれど、心を整える時間だと考えると、
見え方は少し変わります。

今日も汗だくになりながら草を抜いていて、
そんなことをぼんやり考えていました。

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