人生再構築

今日も棚田へ

先週から、お師匠さんの指導もあり、ある程度稲の穂も垂れてきたので、

稲刈りまで、あと少し。

これからは田んぼの水を抜き、稲刈りに向けて土を乾かしていく時期に入ります。

水の管理もほとんど必要なくなる。

そう考えると、

「今週くらいは、棚田に行かなくてもいいかな」

という気持ちも少しありました。

それはどっこい。

一週間で、棚田の状態はずいぶん変わっていました。

水を抜いたら、形勢が逆転した

これまで手前の田んぼは、水が抜けてしまうこともなく、

比較的いい状態で稲が育ってくれていました。

ところが、水を抜く段階になると事情が変わります。

先週、水を抜くための排水経路を作ったものの、思うように水が抜けない。

田んぼの中の土もなかなか固まらず、そ

こへ暴風雨が来たことで、一部の稲が倒伏していました。

一方、奥の田んぼは正反対です。

こちらはこれまで、毎週のように水が抜けてしまい、そのたびに手をかけてきました。

「また水がない」

そんな状態だった田んぼです。

それが、水を抜く時期になった途端、その性質がむしろ都合よく働きました。

そもそも抜くほどの水が残っていない。

暴風雨にも耐え、倒伏もなく、稲はきれいに育っていました。

手前と奥で、形勢が一気に逆転したわけです。

「いい田んぼ」は、時期によって変わる

これまで「水が抜けなくて助かる」と思っていた田んぼが、

この時期には水が抜けないことで困る。

反対に、毎週のように水が抜け、

そのたびに手間をかけていた田んぼが、今度はその性質に助けられる。

同じ田んぼなのに、稲作の段階が変わっただけで、長所と短所が入れ替わってしまう。

面白いものです。

しかも、それを実感したのはわずか一週間の変化でした。

「もう水の管理もないし、今週は行かなくてもいいかな」

そう思っていただけに、

田んぼは人間の都合どおりには止まっていてくれないのだと、あらためて感じました。

棚田は、生産性が低いだけなのか

地元の棚田の原風景に魅せられて、気づけば棚田での作業も今年で4年目です。

棚田の風景は好きですし、そこで収穫した棚田米もおいしい。

ただ、

それとは別に、以前から少し引っかかっていたことがあります。

昔から続いてきた棚田での米づくりは、

「生産性」という観点だけで考えたら、

どうなんだろう、と。

平地の田んぼに比べれば、一枚一枚の面積は小さく、機械を入れるにも制約がある。

作業効率や生産量という尺度では、どうしても不利な部分があります。

それでも最近、豪雨による平地の田んぼの浸水被害を目にしていると、

少し違った見え方もするようになりました。

もちろん、棚田には棚田のリスクがあります。

傾斜地である以上、土砂崩れなどへの警戒は必要です。

一方で、水は高いところから低いところへ流れていく。

平地とは、そもそも抱えているリスクの種類が違います。

均一ではないことが、残しているもの

平地の田んぼと棚田。

どちらが優れている、という単純な話ではありません。

それぞれに利点があり、それぞれに弱点がある。

今回、手前と奥の二枚の田んぼで起きたことも、どこか似ています。

条件が均一であれば、管理はしやすい。

効率という観点から考えれば、それは合理的なことだと思います。

ただ、

均一であることと、変化に強いことは、必ずしも同じではない

手前の田んぼと奥の田んぼのように、

それぞれ違った性質を持っているからこそ、

状況が変わったとき、強い場所と弱い場所が入れ替わることがあります。

すべてを同じ条件にそろえることは効率につながる一方で、

何か想定外のことが起きたとき、その影響もまた同じ方向に広がりやすくなる。

逆に、違いが残っていれば、

一方が弱い状況でも、もう一方は持ちこたえるかもしれない。

「多様性があるから、レジリエンスが残る」

最近の豪雨被害と、目の前にある二枚の田んぼを見ながら、

その言葉の意味を少し具体的に考えるようになりました。

稲刈りまでは、もう少し

8月も終わり、もうすぐ9月。

米づくりも終盤戦です。

田植えからここまで半年近く作業してきて、

水の管理も終われば、あとは稲刈りを待つだけ。

そんな気分になりかけていました。

でも、一週間で形勢は変わりました。

これまで手のかからなかった田んぼに手がかかり、

手のかかっていた田んぼが何事もなく立っている。

どちらが「いい田んぼ」なのかも、簡単には決められません。

半年間の作業がどんな形になるのか。

それが見える稲刈りまでは、もう少し棚田に通うことになりそうです。

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